いじめられる理由は、その子がその子であること(あるいはのび太のくせに生意気だ)

幼稚園か小学生低学年のころ、実際にうけたいじめ。名簿順だか席順だかに従って数人ずつのグループに分かれて昼食を食べてたときのこと。グループのリーダー格の子が言う。
「この班の中で、○○(私)のことが嫌いな子ー!」
私を除く全員が当然のように手を挙げる。抗議したところで押しつぶされるのは判っているので、私は黙って嵐が通り過ぎるのを待とうとする。が、周囲はそれを許さない。
「なんでお前手を挙げないんだよ。やーい仲間はずれ。」
ひとしきりはやし立てた後、もう一度同じ質問が繰り返される。今度は私もおずおずと手を挙げてみる。待ってましたとばかりに周囲が再びはやし立てる。
「こいつ自分のことが嫌いなんだってー。変な奴ー!」
もうね、どうしろと。
「そんなことくらいで」と思うかもしれないけど、自我すらまだしっかり確立できてない6つかそこらの子供にこれは、相当きついですよ。
いじめられっ子がいじめられる理由。キモいだのくさいだの太ってるだの勉強ができないだの、そんなことは後付けでしかない。その子がいじめられる理由はただひとつ、その子がその子であること。「いじめられる原因」とやらを改めたところで意味はない。その子がその子である限り、一挙手一投足がいじめることの根拠になる。そんな馬鹿な、と思う人は、タイトルに挙げた某いじめっ子の定番台詞を思い出してほしい。すべての言動が否定されるこの苦しみから逃れるためには、自分であることをやめるより他はない。だから、いじめによって自殺する人は、正しく「いじめられる原因を改め、いじめられなくなるための努力」を……
えーとすいません、何でもないです。忘れてください。