いじめか否かの境界

職場に、仕事はできない、外見を一言で言うと不潔、人格にも問題があって全員に嫌われている人がいるとします。当然のごとく、その職場の人は全員、何か仕事上の必要が無い限りその人と話なんかしません。仕事上必要でも嫌々ながら最低限の話をするだけですし、必要が無ければ徹底無視!いわゆる「村八分」状態です。

答えはない、と書かれてるけど、私の回答。

  • これは「いじめ」だと思いますか?

No。だって、仕事上必要な話はしてるんでしょう?もし、仕事上必要な情報であっても、その人が嫌われているからという理由で伝えられなかったり、その人の仕事が否定されたりするのであれば、それはいじめ。でも、その人が職務を遂行することに対して理不尽な妨害があるのでなければ、いじめとは違うと思う*1

  • 悪いのは誰だと思いますか?

「悪い」というのがよくわからない。問題があって、その原因あるいは対処すべき責任が誰にあるのかということ?嫌われている社員の性癖によって他の社員が職務遂行へのモチベーションを失うなどの問題が発生しているなら、適切な対処をとることによって問題を解決する義務は、誰より、その職場を管理している上司にある。上司は「業務命令として」性癖の改善をその社員に求めればいいし、それでも改善されず、かつ改善されないことに相応の理由*2がないならば、正式な手続きを経た上で解雇するなり何なりすべき。周囲に悪影響を及ぼすというのは解雇の正当な理由たりうる。

  • あなたがこの職場にいたらどう行動しますか?

問題の人物にもそれ以外の人物にも等しく、仕事上必要な会話のみかわし、自分の仕事を済ませてさっさと帰り、プライベートの仲間と楽しく過ごします。

  • (問題の人物を除く)職場の人はどうすべきだと思いますか?

改善に向けて働きかけるなり我慢するなり、それぞれに、自分が正しいと思うことをなし、そしてその結果をそれぞれ自分で引き受ければよいかと。
いじめという行為は、ニュートラルではありえない。ゼロではなく、マイナス。必ず、いじめる対象を害しようとする意思が存在する。個人的な好悪が重なった結果としての孤立、というのは、それ自体もちろん問題ではあるけれど、いじめとは別の問題として対処する必要があると思う。
いじめる側の、「相手を害しようとする意思の有無」をもっていじめか否かの線引きをする。それはいじめる側の自覚不自覚、罪悪感の有無、さらにいじめられる側の苦痛の有無すら関係ないと思う。たとえば、知的障害者の言動を周囲があざ笑っている時、笑われている本人が、周囲は楽しくて笑っているのだと勘違いして、一緒になって笑う*3。これは本人が苦痛に感じていないからいじめではない、と言えるのか。

これは「いじめっ子」の常套句であり、「いじめ」を語るときに一番言ってはいけない台詞だ。思慮の浅い人はさらに「この程度のことを「いじめだ」などというのは社会性が足りないのではないか」とまで言うだろう。

むしろだからこそ、いじめとそうでないものの線引きはきちんとする必要があると思います。たとえ悪いことを非難したとしても、その非難への反動というのはかならずあるものです。無駄に、反動勢力に付け入る隙を与えてやることはありません。いじめを糾弾するにしても、自分たちに都合のいいように捻じ曲げて非難することは決してしない、という態度をきちんと表明しておかないと、それを逆手に取られてhttp://d.hatena.ne.jp/tkmisawa/20061113/1163411722#20061113f1みたいな非難を受け、まぎれもないいじめですら精神論の問題にすりかえられ、否定されるのがオチです。

*1:もっとも「嫌々話す」ってのはなかなかに微妙ですが。「嫌々」の態度をあからさまに表明することで、その人を傷つけようという意思があるんならいじめになるかな。

*2:例えば、精神疾患等により本人の意志だけでは改められないとか。その場合でも、休職させるとかカウンセリングに行かせるとか手は講じないといけないと思いますが。

*3:実際にはこういうケースってあんまりないと思いますが。知的障害がある人って、周囲の人の自分に対する感情は、周りが思うよりも敏感に感じとってると思います。