いじめられている人はなぜ逃げないか

「逃げ場を作れ」という論調のブログ、多いですね。私も、逃げ場を作ること自体は必要だと思う。でも、作っただけでは、おそらくそれは逃げ場として機能しない。
「逃げ場を作れ」の人が同時によく言う「なぜ逃げないんだろう」。「なぜ逃げないんだろう→逃げ場がないからだ→逃げ場を作ればOK」あるいは「なぜ逃げないんだろう→逃げちゃいけないと思ってるからだ→逃げてもいいんだといえばOK」。
いじめられている人が逃げない理由のひとつに、「いじめられている間は『いじめられっ子』という形で集団の中に自分の立ち位置を確保することができるから」ということがあるのじゃないかと思う。仲間はずれにならないためならいじめられたってかまわない、というか*1。その立ち位置を失うこと、集団の一員ではないという烙印を押されることは、いじめられるよりはるかに恐ろしいこと。DVの共依存みたいなものかな。

しかし、この国の学校では同時に、同級生たちと「仲良く」できないのはそれ自体が罪悪である。それはしばしば、「いじめる」ことよりも罪が重いとみなされる。

そうそう、そんな感じ。

*1:「そんなふうに考えるからいじめられるのだ」えーえーそうでしょうよ、お説ごもっとも。で、そんなふうに考えないためには、具体的にどうしたらいいんですかね?当たり前に与えられているものって、いざ失うと、自力で獲得するすべがわからずにオロオロするものですよ。