Never-Ending Story

404 Blog Not Found:長尺モノが好かれる世界

問題は、需要側がそれをよし、というよりそれをむしろ供給側に積極的に求めているように見える事だ。かつては小さな世界を小さな覗き穴から見て満足していた読者や視聴者が、自分が気に入った世界により「どっぷり」と浸かるようになってきた。

その代わり、一旦気に入った世界が手に入ると、他の世界を見に行くよりその世界により深く入り込むことを求めるようになる。

「世界を楽しむ」のもまたコストだからだろうか。少なくとも、「自分が気に入る世界を見つける」まで「さまざまな世界を巡る」のはコストだろう。だから、「少ない世界を、より広く」という方向は、需要側にとっても「楽」ではある。

少なくとも需要側の分析については、まったく納得いかないっす先生。
フィクションの長尺化をうながす最大の要因は、「少しでも長くその中にひたっていたい、作品の世界を楽しみたい」という需要側の本質的な欲求だと思うのです。
フィクション好き(特に小説好きや漫画好き)はしばしば「作品世界は自分の生きるべきもう一つの現実、登場人物は大切な自分の友人や恋人」といった形での感情移入をします。うつし世は夢、夜の夢こそまこと。まことの世が終わりをつげ、面白くもない夢の世界に帰るだなんて、まっぴら御免。「自分が気に入った世界にどっぷり浸かる」のが本来のありかたです。
そういう人間にとっちゃ、dan氏のエントリは「最近、友人関係・恋愛関係が長尺化する傾向にある。自分が気に入った相手とより親密な関係を築くようになってきた。新しい関係を築くのもまたコストだからだろうか」なんてことを言われてるようなもんですよ。
そもそも、

かつては小さな世界を小さな覗き穴から見て満足していた読者や視聴者

ってどこの世界の話ですか。長尺なマンガはリンかけの頃からありまっせ。大菩薩峠とか源氏物語とかの存在は、長尺なフィクションが古来から求められてきた証なんでは。

だから、世界を一から作り直すより、「当たった」世界を使い回すようになる。

そうじゃなくて、「当たらなかった」世界が断絶を余儀なくされ、「当たった」世界のみが存続を許されてるだけの話。これは供給側でも世界をクリエイトするフェーズと、それを商業作品としてプロデュースするフェーズに分けるならば、主にプロデュースフェーズの問題です。
ただ、プロデュースフェーズの戦略として、最近になって「世界を存続させるか否か」の敷居を下げてる、という傾向は確かにあると思います。昔は小説新人賞狙いのHowTo本なんかで「新人の分際でシリーズ第1作みたいのを書いても採ってもらえないから、一作できちんと完結するものを書け」とかよく言われましたが、最近は(なくなりはしないにせよ)その傾向は薄れてるような気がします。ジャンプの新人賞なんか、あからさまに「本当の物語はここからはじまる」みたいなラストの作品が当たり前に入賞してるし。シリーズ化・長尺化で顧客を囲い込むのが有利だという実例が積み上がって、「世界を存続させる」リスクが相対的に下がってきた*1ことによる戦略転換なのかも。*2
長尺好きな自分の性向を「そのほうが楽だから」みたいな言い方をされてついカッチーン、でまた長文エントリ書いちゃいましたよ(笑)。でも、本来長尺の物語を求めるってのは、私一人の性向じゃないと思います。いみじくも例示された「グイン・サーガ」1巻のあとがきにもあります。

本来、物語とは「いつまでも終わりなく語りつづける」ことだけを主張してしかるべきものであり、そしてそれこそが近代小説が物語とその読者から無報酬で奪い去ってしまった正当な純朴さの権利である。

アンチ温帯の視線が怖いのでもういっちょ。スターウォーズの最初の作品(今で言うエピソード2ね)が公開されたときのNYタイムズの賛辞だそうです。

この作品に欠点があるとすればそれは、映画が始まってから2時間ほどたった頃、スクリーンの上に"END"の文字が表示されることであろう。

世界の作り手に対しては無上のほめ言葉ですね。

*1:まあ、ダメだったら13週で打ち切りゃいいしー。

*2:結果として、無理に長尺化させられる作品も増えてきてるわけですが、それはアンケートが悪かっただけで13週打ち切りになる例と線対称な事象と考えることもできますね。