「体験」を提供するゲーム

こういう話を聞くと、あたしだって!あたしだって!とか意味もなく対抗心を燃やしてみたり。

「ゲームが終盤にかかると、子供の頃の8月下旬の、もうすぐ夏休みが終わる寂しさがよみがえってきた。ああ楽しかった夏休みが終わっちゃうと思うと、ゲームを終わらせることができなかった」

私の場合は「クーロンズ・ゲート」というかなり妖しい雰囲気のゲームがそんな対象でした。「ぼくなつ」みたいにさわやか路線じゃないんで「いい話」にはなりにくいんですが(苦笑)まーそこはそれ。
なんかこう、「ゲームに感情移入する」とかいうレベルじゃなかったんですよね。ゲームの中にもう一人の自分がいて、その自分がリアルな出来事としてゲーム内の物語を体験しているような感じでした。選択肢なんかほとんどない、一本道のストーリーなのに、「ゲームの中の自分」が自由意志で行動していて、「ゲームをプレイする自分」は「ゲームの中の自分」の意思の命ずるがままにコントローラーを操作しているようで。一見、異様な町並みやキャラクターも、「ゲームの中の自分」にとっては親しくも愛おしいもので、クリアして彼らと別れるのが身を切られるほどに辛く感じさえしました。
思うに、「体験」ということが重要なんじゃないかと。ゲームは、特にストーリー性のあるRPGなどは、小説やコミック、映画などに比べて強い「体験」ができるメディアだと考えています。それが「面白いゲームをやった体験」であればそれは、他のゲームやゲーム以外の体験と並んで、その面白さに比例した強度の記憶として残っていく。ただ、中にそこから一つ突き抜けてしまう作品があって、「ゲームの体験」としてではなく「リアルな体験」(これはどれだけ現実に近いか、ということじゃなくて、その人にとってのリアルというか、そんなようなもの)として、強く心に残るのだと思うのです。
願わくば、そんな体験のできるゲームとまためぐりあいたいものです。

ARTDINK BEST CHOICE クーロンズ・ゲート-九龍風水傅-

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