『代替医療のトリック』読書会準備編 1

とりあえず通し読みしただけだったのを再読しつつ自己流でマインドマップ作りつつ並行して会の進行を考えてるんですが。

Kira Cafeの枠は1時間しかないんですよねー。30分以内で概略説明して30分でディスカッション。なるべくディスカッション多めにしたいけど、前回の「空気と世間」ですら概要だけで1時間取っちゃったからなー。相当圧縮しないと30分では無理。ボイスチャットならもう少し時間短縮できるかもしれないけど、ログ残るようにテキストでやりたいし。
絞り込むか圧縮するか、はたまたもう1回分枠をいれてもらうか。Kiraのスタッフさんとも相談しないとですね。

それでこれから読書会用のスライドを作るわけですが。

スライド作るのに、ちょっとここで考えを記録・公開しながら作ってってみようかと思ってます。SLに来ない人にも興味持ってもらえるかもしれないし、この本を読んだ人からコメントがもらえるかもしれない。まとめる途中のマインドマップとか逐一載せながらやってく予定です。

『代替医療のトリック』の読書会やります。セカンドライフで。

代替医療のトリック

代替医療のトリック

1年ぶりにエントリあげて早々のSLネタで恐縮ですが。
はいそこ、「まだあったのか」とか言わない。
なんでセカンドライフ(以下SL)かといいますと、SL内に「キラカフェ」というコミュニティがありまして、そこでいろいろな分野の研究者や専門家を講師に招いて、バーチャルなワークショップや講演会を定例的に行っているんですね。で、私は専門家でも研究者でもないんですが(^^;)ありがたくもこれらの方々にまじって「読書会」という形で二度ほどワークショップの司会をやらせてもらってます。*1

(写真はキラカフェワークショップ「医療のグレーゾーン」のスライドより)
そして、同じくキラカフェの講師で消化器外科医師であるRB Lemon先生の医療講座でここ数回、「医療のグレーゾーン」をテーマとするディスカッションが持たれていまして、ちょうどその頃私が『代替医療のトリック』を読んでたんで、「関連するテーマとしてこの本の読書会とかできないか?」と提案してみたところ、とんとん拍子に話がまとまり、10/26に医療講座の枠をお借りして、Lemon先生にコメンテイターについてもらう形でやることになりました。
ちなみにディスカッションはテキストチャットで行う予定なので、最終的にはディスカッションのチャットログ全部がキラのサイトにて一般公開される予定です。なんで、「内容には興味あるけど、SLやるまではなー」って人はそちらの公開を待ってもらえればと思います。もちろん、SLやってみよう、見に行ってみようという方は大歓迎。一般的な3DCGのネトゲができるPCならそんなに苦労せずできると思います。

*1:リンク先講師リスト内「Haruka McMahon(アバター名)」が私です

名というのは一番短い呪なのだよ、博雅。

で、この話題で思い出すのが、夢枕獏の「陰陽師」シリーズに繰り返し出てくる、「名とは呪である」というフレーズ。

あそこに花が咲いているであろう。あれに人が”藤”と名を付けて、みながそう呼ぶようになる。すると、それは”藤の花”になるのだ。それが最も身近な”呪 ”だ。

ちょうど少し前に、どんジレさんことid:hrkt0115311の人とFriendFeed上でそんなやりとりを交わしました。

hrkt0115311
名前というのは不思議なものだ。僕は「どんなジレンマ」「耳と余韻」「それ、たぶん違う。」「センスオブワンダーはどこですか」という四つのサイトをスタートし、残ったのが「どんなジレンマ」だった。他のが残ったら、僕は「それちがさん」とか呼ばれていたのだろうか。
9 月 24 日 Twitter 経由

夢枕獏の「陰陽師」シリーズを思い出しました。作中に繰り返し「『名』とは『呪』(しゅ)である」というフレーズが出てきます。「どんジレさん」と「それちがさん」はネット上で違った顔を見せるのかもしれません。 - Regicat

ああ、本当に本当に、獏氏の作品で「しゅ」が登場しましたよね。そうか、僕は「どんジレ」という「しゅ」にかかっているとも言えるわけですね^^ - hrkt0115311

私はHNやらペンネームやら、いくつも名前を持っている。はてなで日記を書けば「id:regicat」という呪をかけ、小説を書くときは「望月瞳子」という呪をかける。セカンドライフにログインすれば「Haruka McMahon」という呪でしばり、会社から給料をもらうときは実名という呪でしばる。実名も非実名も、「呪である」という意味においては等価なんじゃないだろうか。
今回の論議関連でのブログエントリで、その辺を見事に表現してる人がいた。

「nowokayというidで活動してるけど、xxxってサービスではそのidが取れなかったのでnaokiというidを使ってます。役場のサービスでは親がなおきって名前でアカウント作ってたのでそれを使ってます」

2009-10-07

そう、実名とはリアル空間で各種サービスを受けるために登録したアカウントにすぎないのだ。にもかかわらず、「実名なら責任をもって発言するはず」「実名を出せないのは後ろ暗いところがあるから」なんて、実名にやたらと重みをつけたがる人たちがいる。
それは呪であるところの名にさらに、「実名」という呪をかけているにすぎないのだと思う。

もう何周目?

と聞くのがお約束らしい、匿名・実名論議
今回の震源地はここらしい。
勝間和代のクロストーク - 毎日新聞
いろいろ辿っていて、気になった記事。

最初に書いたとおり,普通の人は生れた時からしばらくは実名でしか行動していないと思います.

どんな時にどんなタイミングでわざわざ違う名前を名乗ろうとしたのか教えてもらいたいです.

RE:実名も捨てたもんじゃない - 宇宙行きたい

本格的に別名を名乗りだしたのは、パソコン通信でネットデビューした時。でもそれ以前から、違う名前を名乗りたい───というより実名を捨ててしまいたい、という根源的な欲求が合ったなーと思う。というのは、子供のころからいじめられっ子で、大人になってもしばらくはその記憶をひきずっていたから。
自分の実名は私にとって、負の呪縛でしかなかった。
誰か何か言ってる?オガワ?ああ、無視無視。
どれだけ立派なことを言おうがしようが、その発言者・行動者として自分の名前が冠せられる限り、それは取り合わなくてよい、価値のないものと周囲にみなされる。さすがに露骨にいじめられたのは中学生までだったけれど、その後長い間、私は自分の発言や行動に自信を持てないまま過ごしていた。本当は私の話なんか聞きたくないんだけど、社交辞令で聞いてくれているだけなんじゃないか、という被害妄想じみた感覚から逃れられずにいた。
そして、1997年、パソコン通信デビュー。実名を切り捨てて参加したコミュニティで、私はようやく、自分の言動が相手に受け入れてもらえる、という実感をもつことができた。その瞬間、「うな」という当時のハンドルは、実名よりはるかに重い存在となった。
今は実名をだすことにそれほど抵抗はないけど*1、それでもどこかに、「ハンドルのほうが本来の自分の名前」という感覚が残っている。

*1:mixiでは本名登録してます。