4/1ネタは嘘と言いつつ読み手への信頼から成り立っている

先日のエイプリルフール記事は、本気と受け取られてしまうという考えうる限り最悪の末路をたどりましたorz
これはネタですと解説することほどカッコ悪いことはないよね。
このまますべりまくりの摩擦係数ゼロエントリとしてひっそり埋もれようかとも思ったのですが、トラックバックを下さったid:number555さんの記事に感じるところがあったので。

誰の利益にもならない嘘は粋ですらある

しかしそれは嘘の現実性とネタばらしのタイミングがうまくかみあってこそである

http://d.hatena.ne.jp/number555/20070402

御意でございます。
もともとリアルでのエイプリルフールの嘘は、最初は思わず信じてしまうようなもっともらしいことを言い、あとで嘘だったとばらすタイプが多かったと記憶していますが*1、ネットでのエイプリルフールネタは、独自の進化を遂げたというか、嘘であることを読み手も最初からわかった上で、虚構としてのセンスを楽しむ形へと変化してきているように思います。
つまり読み手をだますのではなく逆に、この記事を読む人は嘘だと気付いてくれるだろう、そしてその嘘を楽しんでくれるだろうと信頼していること。そして良いネタ記事の書き手は、自分が信頼しているということによりかかって甘えることなく、最高のバランスで虚実をとりまぜ、「ネタ」としての完成度を高めようと努力している。ある読み手がネタ記事を読んで、その信頼と努力とが読み手である自分に向けられているのを感じたとき、「これはいい、面白い」と思ってもらえるのかもしれません。
ちなみにその観点での今年のネタ記事マイベストは「ウルトラマンSNS」でした。

*1:いい大人になったせいか、リアルでの周囲にエイプリルフールの嘘をつく人がいなくなってしまいました。