再び女を信じるようになるためのパーソナルスペース理論
(旧)増田の杜: もう一生女なんて信じない その1
この一連の話題、興味深く読んでました。で、まとめと新たなる疑問。
(旧)増田の杜: 男は簡単に惚れすぎるんじゃないか
ちょうどいいタイミングで、帯にほとんど同じ疑問が掲げられている本を発見しました。
- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2005/12/22
- メディア: 文庫
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心理学でパーソナルゾーンという言葉がある。これはいうなれば、自分の心理的領地エリアということになる。通常、この範囲内に他人が入ってくると、人は緊張を覚えるという。で、このパーソナルゾーンの広さが、男性と女性では全く違うらしい。男性の場合は一メートルから二メートルもあるのに対して、女性の場合は数十センチもないそうだ。これはどういうことを意味するかというと、男性は少しそばに寄ってきただけで相手を意識するが、女性は無頓着ということになる。
私も大学自体に般教で、『人と人との快適距離―パーソナル・スペースとは何か (NHKブックス)』(橋本大也さんの書評)の著者である渋谷先生からその辺の話を聞いた記憶があります。考えてみれば、自分の肉体という究極のパーソナルスペース*1の中にすら、別の生命を抱えることができるように造られている女性が、男性より狭いパーソナルスペースをもつというのも納得できる話ではあります。
さらにあちこちさまよってみたら、同じくパーソナルスペース理論に基づいてこの疑問の説明を試みてる文章を発見。
男心と女心 織田隼人著: パーソナルスペース
これは男女のパーソナルスペースの大きさではなく形に注目した説。ちなみにこの男性のスペースの形に関して、背中のデイパックが電車の中で邪魔になっているのに当人が無頓着なのもこれによる説も。
『部屋に入るな→じゃああなたとは友達にならない』に納得できない
震源地たる増田にもありました。これはスペース自体の男女の差異には言及してなくて、どちらかというとその中に招き入れる「親密さ」の閾値の差異に注目してますね。
どれも面白いです。
ときに、「さいえんす?」では
大事なことは、生身の女性と接しなければ、こういう学習*2はできないという点だ。携帯電話やパソコンを通じての交際では、パーソナルゾーンという概念自体が存在しない。
と書いてるけど、Voxやらmixiやら見てると、WebにはWebなりのパーソナルスペースがちゃんと存在するように思えます。