はてブコメントと覚悟

先にあげたようにブックマークって本来はそのページを再度訪れやすくするものだと思うんですけど、はてブの場合コメントをつけたいがためにブクマする傾向が少なからずあるような気がします。
例えば自分のblogだと遠慮なく例に出しやすいので被ブクマ数が爆発したエントリーについたコメントを1つあげさせていただくと…

『コレなんでこんなにブクマ数が炸裂してるの。』

↑これは最初に書いた通りでワタシも全く同意見です。
そう思ったからこそこのエントリーを書こうと思いました。
でもだったらブクマしなければいいのでは??とも思ってしまいました。

えーと、コメントつけた当人です。もちろん揶揄するような気持ちはこれっぽっちもなく、ただ単純に、「人の使っているソフトに興味を持つ人って意外と多いんだなぁ」「同じテーマで記事書いたら読んでくれる人いるかなぁ」くらいの気持ちでした。「コメントするためにブクマした」まったくその通りです。関連した記事も一応書いたんですが、TB送ってなかったのでその辺の事情が届かないのも当然で。ご不快になられたことに対しては、申し訳ありませんでした。
ただ、開き直るわけではないんですが、「相手とのコミュニケーションを前提にすることなく気軽にコメントできるチラシの裏」に対するニーズは現実としてやはり小さくはないんだと思います。ニーズが大きかったからこそ、はてブがこれほど短期間で、コメントされる側との摩擦を乗り越えてまで成長したのでしょう。(参考:ARTIFACT ―人工事実― | 欲しいのは「陰口で繋がる自由」

 私はリンクを貼ってそのリンク先についてぼこぼこに書いたとしても、別に放って置けばよいのではないかと思う。例えばTVに向かって愚痴を吐くように、例えば共同通信を読んで反応したように、感想を書く自由は誰にでもあるのではないかと思うからです。ついでに言えば、私を含め、TVに愚痴を吐くように書いた記事に反応されても困る場合があるのです。ならば、書かなければ良いではないかと言われてしまいそうですが、人間が小言を呟いたり、独り言のような日記を更新したりするのは大体そう言う心情だと思うからです。

これははてブに関してではなくリンクを貼って自分の記事を書くことに関する記述ですけど、「コメントするためにブクマした」私としてはなんとなく共感してしまいました*1
ところで上の文中、コメントする側をTVを見ている人間に例えた部分は、逆の意味でも鋭いなと感じました。コメントする側=TVを見ている人間、ということは、コメントされる側=TVに出ている人間、です。ネットで嫌韓流が盛り上がろうが「今時ぃ〜?時代はイ・ビョンホンでしょー*2」と言われようが常にヨン様はにこやかに微笑んでいなければならないのと同様、一旦世の中に文章を発表した以上は、自分の記事に対するいかなる反応(ブクマ含め)も現実として受け入れなければならないのだと思ってます*3
よく言われる「ブログを書くなら誰にでも読まれることを覚悟しろ」というのは、「反論されたり荒らされたりして思わぬトラブルになる危険性」だけでなく、「はてブやじうまWATCHやカトゆー経由でアクセスが殺到する危険性」「はてブで「死ねばいいのに」タグが貼られる危険性」「会心のエントリが1件もブクマされずにヘコむ危険性」など、記事がひきおこすあらゆる危険性について等しく覚悟しなければならないということ。それが嫌な人にとっては、ネットは必ずしも居心地のいい場所にはならない気がします。

*1:だからといってもちろん、反応するなというのはコメント者のワガママでしかないことは承知してます。

*2:イ様も古かったらすいません。その位しか名前知らないんだよー。

*3:受け入れた上で、反論したり愚痴ったりするのはもちろん自由。それが許されてるだけでもTVスターよりよほどマシだと思いますけどね。