「祭って」いるのは

http://arena.nikkeibp.co.jp/col/20051110/114204/

わりと当たり前のこと言ってると思ってたけど、妙に風当たり強いな(笑)その当たり前さ加減がいかんのかな。2chまわりのインフラの成熟?をからめた視点はなかなか新しいと思いました。

読んで感じたのは、『「祭って」いるのは世間である』ということはすなわち、世間に属する人間であるところの私もいつ「祭る」側に回るかも知れないんだなぁということ。義憤(あるいはその名のもとの思い込み)プラス「世間」も同じことを思っているという一体感、かけることのネットの匿名性(リアルとリンクしないという意味において。コテハン含む)、さらに祭る対象が個人ではなく公(企業とか官とか)であったりすれば、祭りという行為の代償が自分に跳ね返ってくることはないと保証されたも同然で、それも階乗のかたちで効いてくる。そうしたもろもろの「祭ることへの誘惑」に、果たして自分は耐えられるのか。

とてもじゃないけどYesと断言できませんよ、あたしゃ。